日本共産党東播地区委員会の公式ホームページです。一斉統一地方選挙と2019参議院選挙バージョンでお届けしています。

原発NO!

一連の経過 Wikipediaより抜粋

日本における原子力発電は、連合国により研究が禁止されていたが
1954年(昭和29年)3月に当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二により原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされている。この時の予算2億3500万円は、ウラン235にちなんだものであった[1]。

1955年(昭和30年)12月19日に原子力基本法が成立「民主・自主・公開」の「原子力三原則」

読売新聞社社主でもあった正力松太郎である[4]。正力は翌1957年(昭和32年)4月29日に原子力平和利用懇談会を立ち上げ、さらに同年5月19日に発足した科学技術庁の初代長官となり、原子力の日本への導入に大きな影響力を発揮した。

有馬哲夫によると、正力の影響力の背後にはCIAの関与があったとする陰謀論もある[5]。この時原子力委員であった日本人初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹は、体調不良を理由に委員を辞任した[6]。

1956年(昭和31年)6月に特殊法人日本原子力研究所(現・国立研究開発法人日本原子力研究開発機構)が設立され、研究所が茨城県那珂郡東海村に設置された[7]。これ以降、東海村は日本の原子力研究の中心地となっていく。

1957年(昭和32年)11月1日には、電気事業連合会加盟の9電力会社および電源開発の出資により日本原子力発電株式会社が設立された[8]。

日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年(昭和38年)10月26日で、東海村に建設された動力試験炉であるJPDRが初発電を行った。これを記念して毎年10月26日は原子力の日となっている[9]。

日本に初めて設立された商用原子力発電所は同じく東海村に建設された東海発電所であり、運営主体は日本原子力発電である。原子炉の種類は世界最初に実用化されたイギリス製の黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉であった。しかし経済性等の問題[10]によりガス冷却炉はこれ1基にとどまり、後に導入される商用発電炉はすべて軽水炉であった。

1974年(昭和49年)には電源三法(電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法、発電用施設周辺地域整備法)が成立し、原発をつくるごとに交付金が出てくる仕組みができる。日本の原子力発電は、工業用・産業用電源を安価に安定的に供給することを目的として導入された[要出典]。
濃縮ウランの供給問題

日本の原発事業者が米国以外からの濃縮ウランを調達する場合、30%を上限とする制約が課されている。そのため常に濃縮ウランは7割以上を米国から調達しなければならず、調達先の偏りが指摘されている[11]。

福島第一原子力発電所事故の約1ヶ月前に、既存の原子力発電所の延命方針が打ち出された。老朽化で運転を終える原子力発電所の廃炉処置の困難さに加えて、二酸化炭素排出削減策としてである。2010年(平成22年)3月に営業運転期間が40年以上に達した敦賀発電所1号機をはじめとして、長期運転を行う原子炉が増加する見込みであることから、これらの長期稼働原子炉の安全性が議論となった[12]。

2011年(平成23年)に東日本大震災による福島第一原子力発電所事故が発生し、放射能汚染を東北・関東地方に及ぼしている。その影響により原子力発電所の増設計画の是非や、点検などによって停止した原子力発電所の再稼働の是非などが焦点となり、今後の原発政策をどうしていくのかという議論が政府やマスコミなどに大きく取り上げられるようになった。

なお、福島第一原子力発電所の原子炉は、2011年3月の東日本大震災の被害で4基が2012年4月20日に廃止され、残る2基も2014年1月31日に廃止となった[13]。

原子力発電所が集中している若狭湾沿岸(福井県)で、1586年「天正地震」とそれによる津波で大きな被害が出たことが、今回の地震を受けて調査した敦賀短期大学教授・外岡慎一郎(中世日本史)らの調査で複数の文献に記されていることが最近明らかになった。吉田兼見が書いた『兼見卿記』やポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが書いた『日本史』[注釈 1]などである。関西電力は文献の内容を把握していたが、津波による大きな被害はないと説明していた[15][16][17][18]。地元からも不安の声が上がっており、文献から想定される被害に即した対策を求めている[19]。 このとき関西電力が調査しなかった場所(高浜原発3・4号機近く)で、2015年6月に福井大学等の研究チームが津波の痕跡と推定できる14-16世紀頃の砂層を発見している。しかし津波が天正地震によるものと結論付けられる根拠が少なく規模も不明であり、また関西電力も安全対策等には影響しないとしている[20]。

2015年4月27日、美浜1号機と2号機、玄海1号機、敦賀1号機の4基が廃炉とされた[21]。4月30日には島根1号機が廃炉された[22]。結果として2015年には日本の原発は42基となった。2014年4月時点で24基が原子力規制委員会に再稼働申請されていたが、再稼働できるのは20基以下と推測されていた。そのため原子力発電量は震災前と比較して半減し、震災前に28%あった全発電量に占める原子力発電の割合も15%程度に低下すると予測されていた[23]。

2015年8月11日、川内原子力発電所1号機が福島第一原子力発電所事故後に制定された新規制基準での稼働を全国で初めて再開した[24]。

2018年3月11日(日)17:00 反原発集会 毎月11日 脱原発はりまアクションと加印革新懇が共同開催。

2018年3月11日(日)兵庫 加古川
かこむで脱原発はりまアクションが賠償ひょうご訴訟支援の集会を開催。記念講演を田崎俊彦弁護士が記念講演。

2011年5月1日 東京大学 小佐古敏荘教授 20ミリシーベルトは受け入れられない 内閣参与を辞任

小佐古教授が記者会見の模様 yutube

記者会見 全文

内閣官房参与辞任,小佐古氏辞意表明全文:年1mSvで運用す­べき! 5/1
“内閣官房参与を辞任した小佐古氏の辞意表明全文” を動画化しました。記者会見のnewsはほんの一部しかTVで観れませんでしたので、全文をご覧ください。*転載:会見は記者クラブのみ公開でした。

2011年05月01日
内閣官房参与を辞任した小佐古氏の辞意表明全文
内閣官房参与の辞任にあたって(辞意表明)

内閣官房参与
小佐古敏荘

 平成23年3月16日、私、小佐古敏荘は内閣官房参与に任ぜられ、原子力災害の収束に向けての活動を当日から開始いたしました。そして災害後、一ヶ月半以上が経過し、事態­収束に向けての各種対策が講じられておりますので、4月30日付けで参与としての活動も一段落させて頂きたいと考え、本日、総理へ退任の報告を行ってきたところです。
 なお、この間の内閣官房参与としての活動は、報告書「福島第一発電所事故に対する対策について」にまとめました。これらは総理他、関係の皆様方にお届け致しました。

 私の任務は「総理に情報提供や助言」を行うことでありました。政府の行っている活動と重複することを避けるため、原子力災害対策本部、原子力安全委員会、原子力安全・保安­院、文部科学省他の活動を逐次レビューし、それらの活動の足りざる部分、不適当と考えられる部分があれば、それに対して情報を提供し、さらに提言という形で助言を行って参­りました。
 特に、原子力災害対策は「原子力プラントに係わる部分」、「環境、放射線、住民に係わる部分」に分かれますので、私、小佐古は、主として「環境、放射線、住民に係わる部分­」といった『放射線防護』を中心とした部分を中心にカバーして参りました。
 ただ、プラントの状況と環境・住民への影響は相互に関連しあっておりますので、原子炉システム工学および原子力安全工学の専門家とも連携しながら活動を続けて参りました。
 さらに、全体は官邸の判断、政治家の判断とも関連するので、福山哲郎内閣官房副長官、細野豪志総理補佐官、総理から直命を受けている空本誠喜衆議院議員とも連携して参りま­した。

 この間、特に対応が急を要する問題が多くあり、またプラント収束および環境影響・住民広報についての必要な対策が十分には講じられていなかったことから、3月16日、原子­力災害対策本部および対策統合本部の支援のための「助言チーム(座長:空本誠喜衆議院議員)」を立ち上げていただきました。まとめた「提言」は、逐次迅速に、官邸および対­策本部に提出しました。それらの一部は現実の対策として実現されました。
 ただ、まだ対策が講じられていない提言もあります。とりわけ、次に述べる、「法と正義に則り行われるべきこと」、「国際常識とヒューマニズムに則りやっていただくべきこと­」の点では考えていることがいくつもあります。今後、政府の対策の内のいくつかのものについては、迅速な見直しおよび正しい対策の実施がなされるよう望むところです。

1.原子力災害の対策は「法と正義」に則ってやっていただきたい この1ヶ月半、様々な「提言」をしてまいりましたが、その中でも­、とりわけ思いますのは、「原子力災害対策も他の災害対策と同様­に、原子力災害対策に関連する法律や原子力防災指針、原子力防災­マニュアルにその手順、対策が定められており、それに則って進め­るのが基本だ」ということです。 しかしながら、今回の原子力災害に対して、官邸および行政機関は­、そのことを軽視して、その場かぎりで「臨機応変な対応」を行い­、事態収束を遅らせているように見えます。

とりわけ原子力安全委員会は、原子力災害対策において、技術的な­指導・助言の中核をなすべき組織ですが、法に基づく手順遂行、放­射線防護の基本に基づく判断に随分欠けた所があるように見受けま­した。例えば、住民の放射線被ばく線量(既に被ばくしたもの、こ­れから被曝すると予測されるもの)は、緊急時迅速放射能予測ネッ­トワークシステム(SPEEDI)によりなされるべきものであり­ますが、それが法令等に定められている手順どおりに運用されてい­ない。

法令、指針等には放射能放出の線源項の決定が困難であることを前­提にした定めがあるが、この手順はとられず、その計算結果は使用­できる環境下にありながらきちんと活用されなかった。また、公衆­の被ばくの状況もSPEEDIにより迅速に評価できるようになっ­ているが、その結果も迅速に公表されていない。 初期のプリュームのサブマージョンに基づく甲状腺の被ばくによる­等価線量、とりわけ小児の甲状腺の等価線量については、その数値­を20、30km圏の近傍のみならず、福島県全域、茨城県、栃木­県、群馬県、他の関東、東北の全域にわたって、隠さず迅速に公開­すべきである。さらに、文部科学省所管の日本原子力研究開発機構­によるWSPEEDIシステム(数10kmから数1000kmの­広域をカバーできるシステム)のデータを隠さず開示し、福島県、­茨城県、栃木県、群馬県のみならず、関東、東北全域の、公衆の甲­状腺等価線量、並びに実効線量を隠さず国民に開示すべきである。­

また、文部科学省においても、放射線規制室および放射線審議会に­おける判断と指示には法手順を軽視しているのではと思わせるもの­があります。例えば、放射線業務従事者の緊急時被ばくの「限度」­ですが、この件は既に放射線審議会で国際放射線防護委員会(IC­RP)2007年勧告の国内法令取り入れの議論が、数年間にわた­り行われ、審議終了事項として本年1月末に「放射線審議会基本部­会中間報告書」として取りまとめられ、500mSvあるいは1S­vとすることが勧告されています。法の手順としては、この件につ­き見解を求められれば、そう答えるべきであるが、立地指針等にし­か現れない40-50年前の考え方に基づく、250mSvの数値­使用が妥当かとの経済産業大臣、文部科学大臣等の諮問に対する放­射線審議会の答申として、「それで妥当」としている。

ところが、福島現地での厳しい状況を反映して、今になり500m­Svを限度へとの、再引き上げの議論も始まっている状況である。­まさに「モグラたたき」的、場当たり的な政策決定のプロセスで官­邸と行政機関がとっているように見える。放射線審議会での決定事­項をふまえないこの行政上の手続き無視は、根本からただす必要が­あります。500mSvより低いからいい等の理由から極めて短時­間にメールで審議、強引にものを決めるやり方には大きな疑問を感­じます。重ねて、この種の何年も議論になった重要事項をその決定­事項とは違う趣旨で、「妥当」と判断するのもおかしいと思います­。放射線審議会での決定事項をまったく無視したこの決定方法は、­誰がそのような方法をとりそのように決定したのかを含めて、明ら­かにされるべきでありましょう。この点、強く進言いたします。

今回、福島県の小学校等の校庭利用の線量基準が年間20mSvの­被曝を基礎として導出、誘導され、毎時3.8μSvと決定され、­文部科学省から通達が出されている。これらの学校では、通常の授­業を行おうとしているわけで、その状態は、通常の放射線防護基準­に近いもの(年間1mSv,特殊な例でも年間5mSv)で運用す­べきで、警戒期ではあるにしても、緊急時(2,3日あるいはせい­ぜい1,2週間くらい)に運用すべき数値をこの時期に使用するの­は、全くの間違いであります。警戒期であることを周知の上、特別­な措置をとれば、数カ月間は最大、年間10mSvの使用も不可能­ではないが、通常は避けるべきと考えます。年間20mSv近い被­ばくをする人は、約8万4千人の原子力発電所の放射線業務従事者­でも、極めて少ないのです。この数値を乳児、幼児、小学生に求め­ることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムから­しても受け入れがたいものです。年間10mSvの数値も、ウラン­鉱山の残土処分場の中の覆土上でも中々見ることのできない数値で­(せいぜい年間数mSvです)、この数値の使用は慎重であるべき­であります。

小学校等の校庭の利用基準に対して、この年間20mSvの数値の­使用には強く抗議するとともに、再度の見直しを求めます。 また、今回の福島の原子力災害に関して国際原子力機関(IAEA­)の調査団が訪日し、4回の調査報告会等が行われているが、その­まとめの報告会開催の情報は、外務省から官邸に連絡が入っていな­かった。まさにこれは、国際関係軽視、IAEA軽視ではなかった­かと思います。また核物質計量管理、核査察や核物質防護の観点か­らもIAEAと今回の事故に際して早期から、連携強化を図る必要­があるが、これについて、その時点では官邸および行政機関は気付­いておらず、原子力外交の機能不全ともいえる。国際常識ある原子­力安全行政の復活を強く求めるものである。

小出裕章氏オリンピック委員会メンバーへ文書を送付

2018年10月 8日 (月)
「罪のない人を棄民したままオリンピックが大切だという国なら、私は喜んで非国民になろう」小出裕章氏「フクシマ事故と東京オリンピック」
元京都大学原子炉実験所助教小出裕章氏が、2018年8月23日付でIOCのバッハ会長にあてて、東京オリンピックの中止を求める書簡を送ったとするブログがあった。

その内容とは

フクシマ事故と東京オリンピック 小出 裕章(元京都大学原子炉実験所助教)  2011年3月11日、巨大な地震と津波に襲われ、東京電力・福島第一原子力発電所 が全所停電となった。全所停電は、原発が破局的事故を引き起こす一番可能性のある原因 だと専門家は一致して考えていた。その予測通り、福島第一原子力発電所の原子炉は熔け 落ちて、大量の放射性物質を周辺環境にばらまいた。日本国政府が国際原子力機関に提出 した報告書によると、その事故では、1.5×10 の 16 乗ベクレル、広島原爆168発分のセ シウム137を大気中に放出した。広島原爆1発分の放射能だって猛烈に恐ろしいものだ が、なんとその168倍もの放射能を大気中にばらまいたと日本政府が言っている。  その事故で炉心が熔け落ちた原子炉は 1 号機、2 号機、3 号機で、合計で 7×10 の 17 乗 ベクレル、広島原爆に換算すれば約 8000 発分のセシウム 137 が炉心に存在していた。そ のうち大気中に放出されたものが 168 発分であり、海に放出されたものも合わせても、現 在までに環境に放出されたものは広島原爆約 1000 発分程度であろう。つまり、炉心に あった放射性物質の多くの部分が、いまだに福島第一原子力発電所の壊れた原子炉建屋な どに存在している。これ以上、炉心を熔かせば、再度放射性物質が環境に放出されしまう ことになる。それを防ごうとして、事故から7年以上経った今も、どこかにあるであろう 熔け落ちた炉心に向けてひたすら水を注入してきた。そのため、毎日数百トンの放射能汚 染水が貯まり続けてきた。東京電力は敷地内に 1000 基を超えるタンクを作って汚染水を 貯めてきたが、その総量はすでに 100 万トンを超えた。敷地には限りがあり、タンクの増 設には限度がある。近い将来、東京電力は放射能汚染水を海に流さざるを得なくなる。 もちろん一番大切なのは、熔け落ちてしまった炉心を少しでも安全な状態に持って行く ことだが、7 年以上の歳月が流れた今でも、熔け落ちた炉心がどこに、どんな状態である かすら分からない。なぜなら現場に行かれないからである。事故を起こした発電所が火力 発電所であれば、簡単である。当初何日間か火災が続くかもしれないが、それが収まれば 現場に行くことができる。事故の様子を調べ、復旧し、再稼働することだって出来る。し かし、事故を起こしたものが原子力発電所の場合、事故現場に人間が行けば、死んでしま う。国と東京電力は代わりにロボットを行かせようとしてきたが、ロボットは被曝に弱い。 なぜなら命令が書き込まれている IC チップに放射線が当たれば、命令自体が書き変わっ てしまうからである。そのため、これまでに送り込まれはロボットはほぼすべてが帰還で きなかった。 2017年1月末に、東京電力は原子炉圧力容器が乗っているコンクリート製の台座 (ペデスタル)内部に、いわゆる胃カメラのような遠隔操作カメラを挿入した。圧力容器 直下にある鋼鉄製の作業用足場には大きな穴が開き、圧力容器の底を抜いて熔け落ちて来 た炉心がさらに下に落ちていることが分かった。しかし、その調査ではもっと重要なこと が判明した。人間は8シーベルト被曝すれば、確実に死ぬ。圧力容器直下での放射線量は 一時間当たり20 Sv であったが、そこに辿り着く前に530あるいは650シーベルト という放射線が計測された。そして、この高線量が測定された場所は、円筒形のぺデスタ ルの内部ではなく、ペデスタルの壁と格納容器の壁の間だったのである。東京電力や国は、 熔け落ちた炉心はペデスタルの内部に饅頭のように堆積しているというシナリオを書き、 30年から40年後には、熔け落ちた炉心を回収し容器に封入する、それを事故の収束と 呼ぶとしてきた。しかし実際には、熔けた核燃料はペデスタルの外部に流れ出、飛び散っ てしまっているのである。やむなく国と東京電力は「ロードマップ」を書き換え、格納容 器の横腹に穴を開けて掴み出すと言い始めた。しかし、そんな作業をすれば、労働者の被 曝量が膨大になってしまい、出来るはずがない。 私は当初から旧ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故の時にやったように石棺で封じる しかないと言ってきた。そのチェルノブイリ原発の石棺は30年たってボロボロになり、 2016年11月にさらに巨大な第2石棺で覆われた。その第2石棺の寿命は100年と いう。その後、どのような手段が可能かは分からない。今日生きている人間の誰一人とし てチェルノブイリ事故の収束を見ることができない。ましてやフクシマ事故の収束など今 生きている人間のすべてが死んでも終わりはしない。その上、仮に熔け落ちた炉心を容器 に封入することができたとしても、それによって放射能が消える訳ではなく、その後数十 万年から100万年、その容器を安全に保管し続けなければならないのである。  発電所周辺の環境でも、極度の悲劇がいまだに進行中である。事故当日、原子力緊急事 態宣言が発令され、初め3 km、次に10 km、そして20 km と強制避難の指示が拡大して いき、人々は手荷物だけを持って家を離れた。家畜やペットは棄てられた。それだけでは ない、福島第一原子力発電所から40~50 km も離れ、事故直後は何の警告も指示も受 けなかった飯舘村は、事故後一カ月以上たってから極度に汚染されているとして、避難の 指示が出、全村離村となった。人々の幸せとはいったいどのようなことを言うのだろう。 多くの人にとって、家族、仲間、隣人、恋人たちとの穏やかな日が、明日も、明後日も、 その次の日も何気なく続いていくことこそ、幸せというものであろう。それがある日突然 に断ち切られた。避難した人々は初めは体育館などの避難所、次に、2人で四畳半の仮設 住宅、さらに災害復興住宅や、みなし仮設住宅へ移った。その間に、それまでは一緒に暮 らしていた家族もバラバラになった。生活を丸ごと破壊され、絶望の底で自ら命を絶つ人 も、未だに後を絶たない。  それだけではない。極度の汚染のために強制避難させられた地域の外側にも、本来であ れば「放射線管理区域」にしなければいけない汚染地帯が広大に生じた。「放射線管理区 域」とは放射線を取り扱って給料を得る大人、放射線業務従事者だけが立ち入りを許され る場である。そして放射線業務従事者であっても、放射線管理区域に入ったら、水を飲む ことも食べ物を食べることも禁じられる。もちろん寝ることも禁じられるし、放射線管理 区域にはトイレすらなく、排せつもできない。国は、今は緊急事態だとして、従来の法令 を反故にし、その汚染地帯に数百万人の人を棄てた。棄てられた人々は、赤ん坊も含めそ こで水を飲み、食べ物を食べ、寝ている。当然、被曝による危険を背負わせられる。棄て られた人は皆不安であろう。被曝を避けようとして、仕事を捨て、家族全員で避難した人 もいる。子どもだけは被曝から守りたいと、男親は汚染地に残って仕事をし、子どもと母 親だけ避難した人もいる。でも、そうしようとすれば、生活が崩壊したり、家庭が崩壊す る。汚染地に残れば身体が傷つき、避難すれば心が潰れる。棄てられた人々は、事故から 7年以上、毎日毎日苦悩を抱えて生きてきた。  その上、国は2017年3月になって国は、一度は避難させた、あるいは自主的に避難 していた人たちに対して、1年間に20ミリシーベルトを越えないような汚染地であれば 帰還するように指示し、それまでは曲がりなりにも支援してきた住宅補償を打ち切った。 そうなれば、汚染地に戻らざるを得ない人も出る。今、福島では復興が何より大切だとさ れている。そこで生きるしかない状態にされれば、もちろん皆、復興を願う。そして人は 毎日、恐怖を抱えながらは生きられない。汚染があることを忘れてしまいたいし、幸か不 幸か放射能は目に見えない。国や自治体は積極的に忘れてしまえと仕向けてくる。逆に、 汚染や不安を口にすれば、復興の邪魔だと非難されてしまう。  1年間に20ミリシーベルトという被曝量は、かつての私がそうであった「放射線業務 従事者」に対して初めて許した被曝の限度である。それを被曝からは何の利益も受けない 人々に許すこと自体許しがたい。その上、赤ん坊や子どもは被曝に敏感であり、彼らには 日本の原子力の暴走、フクシマ事故になんの責任もない。そんな彼らにまで、放射線業務 従事者の基準を当てはめるなど、決してしてはならないことである。しかし、日本の国は いま、「原子力緊急事態宣言」下にあるから、仕方がないと言う。緊急事態が丸1日、丸 1週間、1月、いや場合によっては1年続いてしまったということであれば、まだ理解で きないわけではない。しかし実際には、事故後7年半たっても「原子力緊急事態宣言」は 解除されていない。国は積極的にフクシマ事故を忘れさせてしまおうとし、マスコミも口 をつぐんでいて、「原子力緊急事態宣言」が今なお解除できず、本来の法令が反故にされ たままであることを多くの国民は忘れさせられてしまっている。環境を汚染している放射 性物質の主犯人はセシウム137であり、その半減期は30年。100年たってもようや く10分の1にしか減らない。実は、この日本という国は、これから100年たっても、 「原子力緊急事態宣言」下にあるのである。  オリンピックはいつの時代も国威発揚に利用されてきた。近年は、箱モノを作っては壊 す膨大な浪費社会と、それにより莫大な利益を受ける土建屋を中心とした企業群の食い物 にされてきた。今大切なのは、「原子力緊急事態宣言」を一刻も早く解除できるよう、国 の総力を挙げて働くことである。フクシマ事故の下で苦しみ続けている人たちの救済こそ、 最優先の課題であり、少なくとも罪のない子どもたちを被曝から守らなければならない。 それにも拘わらず、この国はオリンピックが大切だという。内部に危機を抱えれば抱える だけ、権力者は危機から目を逸らせようとする。そして、フクシマを忘れさせるため、マ スコミは今後ますますオリンピック熱を流し、オリンピックに反対する輩は非国民だと言 われる時が来るだろう。先の戦争の時もそうであった。マスコミは大本営発表のみを流し、 ほとんどすべての国民が戦争に協力した。自分が優秀な日本人だと思っていればいるだけ、 戦争に反対する隣人を非国民と断罪して抹殺していった。しかし、罪のない人を棄民した ままオリンピックが大切だという国なら、私は喜んで非国民になろうと思う。  フクシマ事故は巨大な悲劇を抱えたまま今後 100 年の単位で続く。膨大な被害者を横目 で見ながらこの事故の加害者である東京電力、政府関係者、学者、マスコミ関係者など、 誰一人として責任を取っていないし、処罰もされていない。それを良いことに、彼らは今 は止まっている原子力発電所を再稼働させ、海外にも輸出すると言っている。 原子力緊 急事態宣言下の国で開かれる東京オリンピック。それに参加する国や人々は、もちろん一 方では被曝の危険を負うが、一方では、この国の犯罪に加担する役割を果たすことになる。

チェルノブイリ ドキュメント

世界の原発

世界の原発 地域的分布図
日本原子力産業協会とは